2024年8月8日木曜日

『万葉集』の外国語訳への期待

 

2018年に、山崎洋氏によって『万葉集』のセルビア語訳が刊行されています。他の言語での『万葉集』の翻訳がどのようになっているかを調べてみました。

2015年までは、小倉久美子氏が作成した「記紀万葉翻訳書リスト(暫定)」(『万葉古代学研究所年報』第15号、2017・3)という便利なデータ集があります。
万葉古代学研究年報_第15号横組_後.indd (manyo.jp)
(*この号は、『古事記』『万葉集』の翻訳研究特集となっていて貴重です)

また、それ以後、2022年までは、国際交流基金の「日本文学翻訳作品データベース」が参考になります。

独立行政法人国際交流基金 日本文学翻訳作品データベース (jpf.go.jp)

ただし、両方の資料とも、日本詩歌選のようなアンソロジーに収められた『万葉集』の翻訳は見落とされています。写真は、アメリカの現代詩人ケネス・レクスロスの英訳日本詩歌集で、私の愛読書ですが、資料には登録されていません。

とりあえず二つの資料によれば、『万葉集』の外国語訳は、戦前の1945年までは、フランス語訳、ドイツ語訳、英訳がほとんどです。少し変わったものとしてエスペラント訳があります。

(*2022年の全国大学国語国文学会冬季大会のナポリ東洋大学のアントニオ・マニエーリ氏の研究発表によれば、20世紀初頭にパチフィーコ・アルカンジェリ、下位春吉にそれぞれイタリア語訳があったとのこと。セルビアでも、詩人のミロシュ・ツルニャンスキーが、重訳ではありますが、『日本の古歌』(1928刊)に、セルビア語に訳した『万葉集』の歌を収めています)

戦後では、以上の他に、次のような言語で翻訳されています。

【西ヨーロッパ】イタリア語/スペイン語/ポルトガル語

【北欧】ノルウェー語

【中東欧】スロバキア語(*小倉リストの「スロベニア語」は「スロバキア語」の誤り)/チェコ語/ルーマニア語/セルビア語(*「日本文学翻訳作品データベース」未登録)

【東ヨーロッパ】ロシア語

【アジア】中国語/韓国語/タミル語

まだまだ広がりがあるとは言えません。特に、日本語学習や日本文学研究が盛んな地域で、翻訳されていないことを残念に思います。たとえば、以下のような言語で『万葉集』の翻訳が行われることを、私は強く期待します。

■インドネシア語(日本語学習者が中国に次いで多い)

■ベトナム語(日本語学習者が多く、『万葉集』の若手研究者もいる)

■タイ語(日本語学習者が多く、日本文学研究も盛ん)

■ベンガル語(昨年、コルカタで『万葉集』を紹介したところ、もっと知りたいという若い人々がいた。ビッショ・バロティ(タゴール国際大学)でも学生たちが『万葉集』に感銘を受けていた)

■ヒンディー語(昨年、ジャワハルラール・ネルー大学とデリー大学で授業と講演。強い興味を覚えた学生がいた。自然科学者との共同研究の可能性もある考えられる)

■ポーランド語(日本語学習者が多く、日本文学研究が盛ん)

■スロベニア語(日本と古くから交流があり、若手の日本文学研究者も出つつある)

■ウクライナ語(学生の日本文学への関心は高い。詩人レーシャ・ウクラインカの自然観との比較研究ができると興味深い)

■トルコ語(日本語・日本文学研究が盛ん)

これらの言語による『万葉集』の翻訳を期待するのは、日本語学習者や日本文学研究が盛んであることに加えて、自然観・死生観・恋歌・文学の社会性(山上憶良「貧窮問答歌」など)・口承性oralityなどのテーマでの比較研究ができる可能性があるからです。

戦前に佐佐木信綱を中心に学術振興会が『万葉集』を英訳する際、「日本精神」を諸外国に伝えることを目標としました。今日でも、『万葉集』の翻訳によって”すぐれた日本文化”を伝える、ということが言われがちです。しかし、テネシー大学のチトコ=ヂュープランティス マウゴジャタ・カロリナさんが大変心配しているように、それは『万葉集』を日本文化のブランディングに利用することにほかなりません。

むしろ、『万葉集』を知りたい・読みたい海外の若い人々に、『万葉集』を届けるための翻訳、そして、それぞれの国や民族の文学と比較しながら、人間の普遍的問題をともに考えてゆくための翻訳であってほしいと思います。

そのためには、万葉集研究者が、どのテキストがよいか、今どのような解釈が最も信頼できるか、などの基本的なところから翻訳者をサポートすることが必要です。実際に万葉集研究者の梶川信行氏と崔光準氏共編の韓国語訳(『日韓対訳『万葉集選』』新羅大学、2012)も出されるようになっています。

さらにいえば、日本語の情報を提供するだけでなく、翻訳についてもアドバイスできる語学力も、翻訳に関わる万葉集研究者には必要になってくるように思います。

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