2024年8月31日土曜日

日本近代における『萬葉集』受容資料の引用について

 

日本近代における『萬葉集』受容に関する資料を引用するとき、振り仮名もいっしょに引用することが重要です。

日本近代の『萬葉集』のテクストでは、読み下し文が一般的です。その読み下し方は、たとえば、『新訓萬葉集』(岩波文庫)、『作者類別年代順 萬葉集』(新潮文庫)では違っています。

ある文学者が『萬葉集』を引用しているとき、振り仮名にから、どのテクストを使っているかのか、そのテクストのその読み下しにしたがってどのような解釈をしているのかがわかります。ですから、日本近代の文学者の、『萬葉集』受容資料を引用する場合、『萬葉集』の歌の振り仮名も含めなければなりません。また、解説文の中に、振り仮名があれば、それも安易に削除してはなりません。

また、本、雑誌、新聞を、日本近代における『萬葉集』受容について資料として用いる場合も、振り仮名も一緒に引用することが望ましいと思います。本によっては、総ルビのこともあります。煩雑なため、引用の際に省略されることも多いようですが、その総ルビから、読者として誰をターゲットにしている文章なのか、という貴重な情報が得られます。さらに、『萬葉集』の人名・地名を当時どのように読み下し方をしていたかもわかります。

戦前の資料では、現在とは違った読み下し方をしていたものとして、以下の例があります。

■額田王 ぬかだのおほきみ →(現在では)ぬかたのおほきみ
■中大兄 なかちおひね   →(現在では)なかのおほえ

なお、固有名詞に振り仮名が振っていない、近代の文学者の文書を引用する際、一般向けの本では、新たに振り仮名を加えることになります。その時に、現在の読み下し方で振り仮名を付けてしまうのは問題です。

戦前の新聞は、振り仮名について不思議な振り方をしています。「作品」の「作」にだけ「さく」と振り仮名があったりします。補って読めるところは振り仮名を振っていないのでしょうか。そのため、新聞の振り仮名は省略されてしまうことが多いようです。しかし、振り仮名は全て引用しておいたほうが、のちに研究する者の助けとなると思います(特に閲覧が簡単ではないもの)。

振り仮名は「付属物」と見られがちです。本文を言語的な〈本文(テクスト)〉(簡単に言えば「内容」)に限定して考えると、確かに「付属物」のように見えてしまいます。しかし、日本近代の印刷文化の中では、振り仮名は本文の一部にほかならないと、私は思っています。

論文や本に、近代における『萬葉集』受容資料を引用するときは、振り仮名も省略せずに引くことが基本的ルールになることを願っています。

2024年8月8日木曜日

『万葉集』の外国語訳への期待

 

2018年に、山崎洋氏によって『万葉集』のセルビア語訳が刊行されています。他の言語での『万葉集』の翻訳がどのようになっているかを調べてみました。

2015年までは、小倉久美子氏が作成した「記紀万葉翻訳書リスト(暫定)」(『万葉古代学研究所年報』第15号、2017・3)という便利なデータ集があります。
万葉古代学研究年報_第15号横組_後.indd (manyo.jp)
(*この号は、『古事記』『万葉集』の翻訳研究特集となっていて貴重です)

また、それ以後、2022年までは、国際交流基金の「日本文学翻訳作品データベース」が参考になります。

独立行政法人国際交流基金 日本文学翻訳作品データベース (jpf.go.jp)

ただし、両方の資料とも、日本詩歌選のようなアンソロジーに収められた『万葉集』の翻訳は見落とされています。写真は、アメリカの現代詩人ケネス・レクスロスの英訳日本詩歌集で、私の愛読書ですが、資料には登録されていません。

とりあえず二つの資料によれば、『万葉集』の外国語訳は、戦前の1945年までは、フランス語訳、ドイツ語訳、英訳がほとんどです。少し変わったものとしてエスペラント訳があります。

(*2022年の全国大学国語国文学会冬季大会のナポリ東洋大学のアントニオ・マニエーリ氏の研究発表によれば、20世紀初頭にパチフィーコ・アルカンジェリ、下位春吉にそれぞれイタリア語訳があったとのこと。セルビアでも、詩人のミロシュ・ツルニャンスキーが、重訳ではありますが、『日本の古歌』(1928刊)に、セルビア語に訳した『万葉集』の歌を収めています)

戦後では、以上の他に、次のような言語で翻訳されています。

【西ヨーロッパ】イタリア語/スペイン語/ポルトガル語

【北欧】ノルウェー語

【中東欧】スロバキア語(*小倉リストの「スロベニア語」は「スロバキア語」の誤り)/チェコ語/ルーマニア語/セルビア語(*「日本文学翻訳作品データベース」未登録)

【東ヨーロッパ】ロシア語

【アジア】中国語/韓国語/タミル語

まだまだ広がりがあるとは言えません。特に、日本語学習や日本文学研究が盛んな地域で、翻訳されていないことを残念に思います。たとえば、以下のような言語で『万葉集』の翻訳が行われることを、私は強く期待します。

■インドネシア語(日本語学習者が中国に次いで多い)

■ベトナム語(日本語学習者が多く、『万葉集』の若手研究者もいる)

■タイ語(日本語学習者が多く、日本文学研究も盛ん)

■ベンガル語(昨年、コルカタで『万葉集』を紹介したところ、もっと知りたいという若い人々がいた。ビッショ・バロティ(タゴール国際大学)でも学生たちが『万葉集』に感銘を受けていた)

■ヒンディー語(昨年、ジャワハルラール・ネルー大学とデリー大学で授業と講演。強い興味を覚えた学生がいた。自然科学者との共同研究の可能性もある考えられる)

■ポーランド語(日本語学習者が多く、日本文学研究が盛ん)

■スロベニア語(日本と古くから交流があり、若手の日本文学研究者も出つつある)

■ウクライナ語(学生の日本文学への関心は高い。詩人レーシャ・ウクラインカの自然観との比較研究ができると興味深い)

■トルコ語(日本語・日本文学研究が盛ん)

これらの言語による『万葉集』の翻訳を期待するのは、日本語学習者や日本文学研究が盛んであることに加えて、自然観・死生観・恋歌・文学の社会性(山上憶良「貧窮問答歌」など)・口承性oralityなどのテーマでの比較研究ができる可能性があるからです。

戦前に佐佐木信綱を中心に学術振興会が『万葉集』を英訳する際、「日本精神」を諸外国に伝えることを目標としました。今日でも、『万葉集』の翻訳によって”すぐれた日本文化”を伝える、ということが言われがちです。しかし、テネシー大学のチトコ=ヂュープランティス マウゴジャタ・カロリナさんが大変心配しているように、それは『万葉集』を日本文化のブランディングに利用することにほかなりません。

むしろ、『万葉集』を知りたい・読みたい海外の若い人々に、『万葉集』を届けるための翻訳、そして、それぞれの国や民族の文学と比較しながら、人間の普遍的問題をともに考えてゆくための翻訳であってほしいと思います。

そのためには、万葉集研究者が、どのテキストがよいか、今どのような解釈が最も信頼できるか、などの基本的なところから翻訳者をサポートすることが必要です。実際に万葉集研究者の梶川信行氏と崔光準氏共編の韓国語訳(『日韓対訳『万葉集選』』新羅大学、2012)も出されるようになっています。

さらにいえば、日本語の情報を提供するだけでなく、翻訳についてもアドバイスできる語学力も、翻訳に関わる万葉集研究者には必要になってくるように思います。

2024年8月5日月曜日

〈文学交流〉第一歩

 

海外の大学で日本語・日本文学を学ぶ学生の皆さんに、講義する機会が増えてきます。

初めて講義をしたのが、2017年、リュブリャーナ大学文学部アジア研究学科日本研究専攻。リュブリャーナ大学で日本語を学ぶ学生さんたちの様子を偶然テレビで見かけたことがあり、一度訪問したいと思っていました。以前にメールのやりとりをしたことがあるアンドレイ・ベケシュ氏の縁を頼りに、訪問したいという希望を伝えたところ、ベケシュ氏と守時なぎさ氏が、学生の皆さんに講義する機会と作ってくれました。講義の最後には、スロベニアの詩人スレチュコ・コソヴェルの詩の朗読という、思いがけないプレゼントもありました。ただ、学生の皆さんが緊張していたようで、直接に会話することができませんでした。そのころの私は、学生の皆さんの緊張を解きほぐす方法を持っていませんでした。

2023年夏に国際交流基金の日本研究基盤整備プログラムの客員教員としてインド・西ベンガルのビッショ・バロティ(タゴール国際大学)日本語学科に行き、1か月、学部1年生から大学院生までの授業を担当しました。その中で学んだのは、私のほうから、ベンガル地方インドの植物、動物、文学、映画について、また、ある日本語に当たるベンガル語は何かを尋ねると、学生の皆さんと生き生きしたコミュニケーションがとれる、ということでした。「日本のウグイスに当たる鳥は何か」「日本のタチバナのような香りのよい花は何か」と聞くと、学生の皆さんは喜んで答えてくれました。また、日本語の「仕方ない」にあたるベンガル語は何か、と尋ねると、しばらく考えて、このことばでしょう、と教えてくれました。

一方的に、日本の文学や文化を教えるというのではなく、相手の文学や文化に関心を持ち、それを知りたいという姿勢を持つと、学生の皆さんは積極的に話しかけてくれます。私自身も、本やインターネットではわからないことを知る楽しさを感じます。インド滞在中、ベンガル語も少し勉強し始めましたが、学生の皆さんから生きたことばを教えられ、ますますベンガル語への関心も高まりました(今は学習はストップしていますが)。

2024年4月、セルビアのベオグラード大学文献学部東洋学科日本語・日本文学文化専攻を訪問しました。セルビアにおける日本文学の受容と日本研究の歴史に関心を持っており、また、青山学院大学とベオグラード大学で交換留学協定が締結されたので、一度、自分の眼でベオグラードを見、研究者の皆さんと交流する機会を持ちたいと思ったからです。

ダリボル・クリチュコビッチ氏が、学生の皆さんと交流する機会を作ってくれました。今回は、インドでの体験を踏まえ、自己紹介と〈文学交流〉についての説明を記した資料に、「話のタネ」を書き加えました。「話のタネ」は以下の通りです。

【皆さんが私に聞きたい(かもしれない)こと】(*質問しやすいように作った想定質問集)

■いつから、なぜ日本文学を研究しようと思ったのか?

■『万葉集』を始めとする日本文学の面白さは?

■日本文学を研究してきて、今までもっとも心に残ったことは?

■日本文学を研究することは役に立つか? よいことはあるか?

■今まで世界のどのような国に旅行しているか?

■日本文学を学ぶ者への、日本のおすすめの場所は?

■青山学院大学日本文学科には留学生はいるのか?

■交換留学生として青山学院大学に留学したとき、どんな授業が受けられるか?

■交換留学生は日本人と友だちになれるか?

■日本文学のおすすめの本は?

■三島由紀夫の作品はどうでしょうか?(*海外には三島好きが多いのでこの質問)

■日本の若い人たちが中学・高校で読んでいる文学作品は何か?

■日本のポップミュージックのおすすめは?

【私から皆さんに聞きたいこと】

■セルビアの若い人たちが中学・高校で読んでいる文学作品は何でしょうか?

■皆さんの好きなセルビアの文学者や作品を教えてください。

■皆さんが好きな日本の文学、音楽、映画について教えてください。

■セルビアの多くの人たちが好きな花で何でしょうか?

■セルビアの多くの人たちがよく知っている鳥は何でしょうか?

■セルビアのおすすめの絵本を教えてください。

■大学生の皆さんが困ったと思うのはどのようときですか?

■セルビア語の「触れる」додирнутиは英語のtouchと同じ意味でしょうか? 日本語には「触(ふ)れる」と「触(さわ)る」という二つのことばがあります。セルビア語ではどうでしょうか?

■セルビア語の「心」срце(スルツ)と「魂」душа(ドゥシャ)の意味の違いを教えてください。

学生の皆さんからの質問はあまりありませんでした(学生の皆さんが質問する前に、私が答えてしまったものもありました)。しかし、学生の皆さんへの質問には、手を挙げて積極的に答えてくれました。

◇特にセルビアの人が好む花や鳥というものはない。それぞれに好きな花や鳥はあるけれども。(*ラモンドRamond seribica, serbian phenix flowerという紫の美しい花を教えてもらいました)

◇好きな文学はイボ・アンドリッチとミロシュ・ツルニャンスキー(*確かにベオグラードの書店には彼らの本が多数置いてありました)。

◇セルビア語のдодирнутиは、瞬間的に触れることを意味する。

◇「心」срцеは肉体的、「魂」душаは精神的。親切な人のことをдушаとも言う。恋愛に関して言う場合、「心」срцеは恋愛感情を表し、「魂」душаはそれよりもっと深い愛を表す。さらにдуx(ドゥフ)という「魂・霊」を表すことばがある。たとえば春の喜びをдуx пропећ(ドゥフ・プロぺチ)と言う。

とても楽しい会話ができました。〈文学交流〉は「双方向」的でなくてはならないと私は考えています。学生の皆さんとのこうしたやりとりは、まさに〈文学交流〉の第一歩と思います。

なお、冒頭の写真は、『ネズミと呼ばれた猫』というセルビアの絵本の見開きです(その中の「ウォーター・ドラゴン」というお話)。まだセルビア語が読めないのに、絵の美しさに心ひかれて、衝動買いしてしまいました。絵本は、その国、民族の文学・文化への最も魅力的な入り口と私は思っています。では、日本はどうでしょうか。ベオグラード大学の学生の皆さんには、宮澤賢治『銀河鉄道の夜』、新美南吉『ごんぎつね』を紹介しました(ベオグラード大学の学生の皆さんは『銀河鉄道の夜』も『ごんぎつね』も英訳で読んで、知っていました)。

ただ、セルビアでも日本でも、ディズニーのキャラクターのようなタッチで描かれた絵本がかなり増えています。互いの文学・文化に紹介できるような絵本がもっとあってほしいと思強く思いました。

2024年8月3日土曜日

ベオグラードの『万葉集』

 

2024年4月5日(金)に、セルビアのベオグラード大学文献学部東洋学科日本語・日本文学文化専攻で「『萬葉集』の桜と〈無常感〉について」という講演をしました。

講演後の質問の時間で、ベオグラード大学の学生の皆さんから質問を受けました。その中に「額田王、大伴坂上郎女以外で重要な女性の万葉歌人は誰でしょうか」という質問がありました。額田王と大伴坂上郎女が代表的な女性歌人であることを知った上での質問であったことに感銘を受けましたた。

講演会に来てくださった山崎洋氏(翻訳家)が、講演会後にしてくださったお話で、『万葉集』について学生の皆さんがよく知っているわけが、よくわかりました。山崎氏は、2018年に『万葉集』のセルビア語訳(抄訳)を出版しました。そしてこの本を使って、ベオグラード大学で『万葉集』を講読していたのです。

Hijade Listova, Stotine Cvetova: Izabrane Pesme iz Zabirke Manjošu [数千の葉、数百の花―歌集『万葉集』から選ばれた歌]。100首の歌が選ばれ、歌ごとに翻訳に合わせて丁寧な解説も付けられています。額田王の「熟田津に 船乗りせむと…」(巻1・8)や「あかねさす 紫野行き…」(巻1・20)など、大伴坂上郎女の「来むと言ひも 来ぬ時あるを…」(巻4・527)、「恋ひ恋ひて 逢へる時だに…」(巻4・661)なども収められている。嬉しいことに、大伴旅人の「酒を讃むる歌十三首」(巻3・338~350)も、13首全てが挙がっていて訳が付けられています。長歌、旋頭歌の重要な作品も入っています。

この本で学んでいれば、確かに額田王や大伴坂上郎女以外の女性歌人についても知りたいという心持ちになります。翻訳というものの重要性を改めて強く感じました。また、万葉集研究者も、もっと積極的に翻訳についてアシストしてよいと思いました。

セルビアでは、山崎洋氏を中心に、『古事記』や『竹取物語』の翻訳書も出版されています。さらに驚いたことに、東京大学大学院生であったマテヤ・マティッチさんが、『平家物語覚一本』の全訳を独力で2021年に完成しました。これらには、日本古典文学の翻訳への情熱が感じられます。

こうした素地の上に、日本文学を本格的に知りたいと思っているセルビアの若い人々に、日本文学を伝えることも、日本文学研究者に重要な役割であると思いました。

ちなみに、学生の質問に対して、私は少々慌てて、鏡王女(かがみのおおきみ)、笠女郎(かさのいらつめ)、山口女王(やまぐちのおおきみ)と回答しました。ホテルに戻ってから、紀女郎(きのいらつめ)を忘れていたことに気づきました。紀女郎は『万葉集』のジェンダーを軽々と超えてしまうユニークな歌人です。斉明(皇極)天皇、持統天皇、狭野茅上娘子(さののちがみおとめ)も挙げるべきでした。

『万葉集』には多くの女性歌人が見られます。その活躍ぶりは、平安時代の女房たちに匹敵する、あるいはそれ以上かもしれません。こうした女性歌人たちを、「女性」(”女流歌人”)というジェンダーに閉じ込めてしまわずに、大胆に研究してくれる若い人々がベオグラードから出てくることを期待してやみません。

日本文学研究の国際化についての提案

日本文学研究の国際化はますます重要となっています。従来、日本文学研究の国際化というと、欧米圏の研究者の招聘や、欧米圏での日本研究者の講演などがイメージされがちです。しかし、10年前と比べて、海外出身の研究者による日本文学研究の状況は大きく変化しています。そこで、具体的に、日本文学研究の国際化の方策を提案したいと思います(*私のFacebookにも投稿しました)

1)日本国内の海外出身の日本文学研究者との間のネットワークの構築

10年前に比べて、日本の研究・教育機関に勤務する海外出身(欧米圏に限らず)の日本文学研究者は確実に増加しています。加えて、その日本文学の研究内容も変化しています。書誌学・文献学の領域にも積極的に足を踏み入れるようになっています。私も、その研究者たちから多くのことを教えられています。

しかし、その研究者たちが集まる場、情報交換する場が、現在あまり存在していないことを耳にしました。

この研究者たちの交流に積極的に取り組むべきであると思います。日本の研究・教育環境をよく知っているだけに、意見の交換もしやすく、大きな力になってくれるはずです。日本文学研究の学会には、この研究者たちが進んで研究発表ができるような環境を整えるを望みます。

2)日本と海外の若手研究間の交流の活発化

海外で日本研究を進めている大学院博士課程の大学院生やポスドクの若手研究者も徐々に増えています。若手の研究交流によって、次の時代に、日本の「国文学」の方法と海外のさまざまな日本文学研究の方法との協働が可能になると思います。

日本文学研究の学会で海外の研究者が発表すると、「国文学」の方法の手続きを踏まないため、日本の研究者はその発表に対して最初から批判的になりがちです。研究の手続きの瑕疵にばかり目を向けます。この傾向を、私ぐらいの年齢の高い研究者たちに「明日から変えよ」と言っても無理でしょう。むしろ長期的展望を持って、海外の日本文学研究者とも対話できる、協働できる若手を育成してゆくことこそが重要であると思います。

オンラインでの交流も当たり前になった今日、大学や日本文学研究学会にはこうした若手の交流を積極的に作ってほしいと願います。その交流の中で、日本の若手研究者も、国際学会へのエントリーの仕方やよりよいプレゼンテーションの方法などを身につけてゆくでしょう。

3)海外の日本研究機関の支援

欧米に限らず海外の日本研究機関には、すぐれた日本文学研究者がいます。高い日本語能力と研究意欲を持っています。ところが、特に欧米以外の研究機関では、研究・教育のリソースが十分ではありません。日本文学や日本文学研究書は、いまだに多くが紙媒体で、海外では入手が容易ではありません。そのため、インターネットで入手できる英語文献のみで、論文を書かざるを得ない人も多数います。日本語の文献を読みたい、使いたいという本音を彼らから聞いています。

また、海外の日本学科の学生たちも、日本文学に強い興味を持ちながらも、日本語の日本文学になかなかアクセスできずにいます。青山学院大学で協働授業を行った海外の大学生たちからは、もっと日本文学について知りたい声が寄せられました。

日本文学研究者たちが、日本語文献を使って研究を進められるような研究基盤の整備、また日本文学を学ぶ学生たちがもっと日本文学に触れることのできる環境の整備のお手伝いをすることは、今、日本の日本文学研究者に求められていることではないでしょうか。そのために、学会として、支援できることはたくさんあるあると思います。学会誌の紙媒体と同時のインターネット公開もその一つです。会員の権益を守るために、インターネット公開を紙媒体の発行よりも遅らせる、というのは不可解です。私は、学会費は学会員の利益のためというより、学会の成果を広く公開してゆくために、会員が持つ寄るものではないかと思っています。

以上のような提案について、全国大学国語国文学会第129回大会の総会で発言しました。全国大学国語国文学会に限らず、国際化を模索している日本文学研究のすべて学会に考えていただきたいと思っています。

2年間、日本文学科出身という異色の、青山学院大学国際センター所長として、大学の国際化についてのさまざまな経験を得ることができました。国際化には明確な方針と、それを実現するための具体的な方策と、交流する相手との信頼関係が極めて重要であることを身をもって知りました。


今後も機会があるたびに発言するとともに、自分の足元からできることに、力の限りを尽くしたいと思っています。

海外出身の研究者たちとの協働によって、日本文学の研究の地平は確実に広がってゆくことを夢見つつ。
(写真は、2024年4月5日に、セルビア・ベオグラード大学文献学部東洋学科日本語・日本文学文化専攻課程で「『萬葉集』の桜と〈無常感〉について」という講演をしたときの様子。学生さんたちの日本文学への関心の高さに驚きました)

2024年8月2日金曜日

ブログ「草行録(万葉集、詩歌、書物、文学交流など)」

ブログ「万葉集と日本人」は、2016年8月5日の投稿を最後に長らく休眠していました。今日までの間、私の情報発信の方法や、取り組みたい研究テーマが変化し、「万葉集と日本人」というテーマで記事を書くことが難しくなっていました。

2016年3月に立ち上げた「戦争と萬葉集研究会」の活動が、2023年2月に終止し、また、数年続けていたTwitterも経営者の変更を機に退会しました。

現在は、しばらく離れていたFacebookに戻り、記事を発信しています。しかし、Facebookのみでは記事が届く範囲が限られていると感じ、ブログを再開することにしました。

タイトルを「草行録(万葉集、詩歌、書物、文学交流など)」として、これまで、そして現在、私が関心を持っているトピックについて、思い付くままに発信してゆきたいと思います。

タイトルの「草行」は、「草行露宿」(道のない草むらを歩き野宿しながら旅行する〔角川新字源〕)に借りる。「草行露宿」は、『晋書』では東晋の将軍・謝玄によって打ち負かされ潰走する苻堅軍のさまを表現することばですが、仏典では耕作者の暮らしを表しています。ここでは、”道なき道”という気持ちでこのことばを使います。また、「草行」には「草書・行書」の意味も込めています。格式ばった「楷書」ではなく、気持ちのおもむくままに思うことを記録してゆきたいと思います。