2025年3月21日金曜日

研究と編集

 2018年12月に研究誌『戦争と萬葉集』を刊行するあたりから、本格的に編集の仕事する機会が増えています。以下のような本が、私が編集を担当したものです。

・青山学院大学文学部日本文学科編『留学生のための日本文学入門』(元版の私家版、2017年。のちに和泉書院、2021年)、

・同『文学交流入門』(武蔵野書院、2023年)

・プロジェクト「青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち―交流の歴史とその未来のために―」編集・発行『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』(2024年)

・青山学院大学文学部日本文学科・復旦大学外国語言文学学院日語語言文学系主催国際シンポジウム「日本文学の翻訳・翻案・アダプテーション―中国からの視点―」に基づく論集(2025年刊行予定)

こうした編集の最初の出発点は、『国文学』の特集「万葉集―その編集作業と多声性」(第49巻第8号、2004年7月)について、學燈社の編集者から助言を求められたことであったように思います。そして、編集を強く意識したのは、『国文学』の臨時増刊号「文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―」(第52巻第10号、2007年8月)であったと思います。學燈社の編集者から、今度の臨時増刊号は「文字」で行きたい、とテーマを提示され、構想と執筆者の探索を依頼されました。責任の重さに押しつぶされそうになって、帰路の足取りが重かったことを今も覚えています。

とはいえ、『国文学』のこのふたつの特集から、その道の専門家に執筆を依頼し、その文章を読むことの楽しさを覚えました。依頼は自分が面識のある人に限りません。本や論文を読み、ぜひこの人にと思う人には、可能な限り手を尽くしてコンタクトをとりました。「文字のちから」は、日本古代から近代まで、文学だけでなく写経や筆記具、地域に西洋・中国にも及びます。編集者を通じて、執筆の内諾が伝えられると、本当に嬉しく、心躍りましたました。今でも執筆者の多くは、私が依頼主であったことに気づいていないようです。

研究を進めてゆくと、時代・領域・分野を超えて、知りたいことがどんどん広がってゆきます。しかし、自分一人の力ではそのすべてをカバーすることは不可能です。そこで、その時代・領域・分野の専門家に教えてもらう、というのが、私の編集の基本です。それはまた、私の編集の原動力となっています。

ただし、その時代・領域・分野について、自分が全く知らずに依頼することはありません。自分もある程度の知識を身に付け、また、自分の萬葉集研究・日本文学研究との関わり方を考えます。何よりも、自分が本当に知りたいことは何かを明確にしておくことが大切と思っています。ですから、その道の専門家に「丸投げ」するということはしません。

と言うと、自分が鵜飼の「鵜匠」で、執筆者は「鵜」のようです。確かにそういう面はあるかもしれません。しかし、私の場合、「鵜匠」は、あくまでも「鵜」に教えを乞う存在です。

自分の知りたいことを専門家に書いてもらい、その教えを受ける、という編集も、今後研究を広げてゆくための一つの重要な方法であると思います。そして、編集をいわば「口実」に、これまで面識のなかった研究者との交流の輪が広がることは、何物にも代えがたいことです。

2024年12月27日金曜日

『萬葉集』への道

 

冬休みに入り、書店でじっくり本を見る機会ができました。日本古典文学の棚も見るのですが、『萬葉集』について、若い人が強く心惹かれるような本が少ないことを、寂しく感じています。

私を『萬葉集』に導いたのは、中西進氏の『天智伝』(中公叢書、中央公論社、1974)と『神々と人間』(講談社現代新書、講談社、1975)でした。これらの本に触れたのは高校生のときでした。

小学校6年のときに、友人の発案で古墳を見て回るようになってから、私は考古学と古代史に興味を持つようになりました。1972年の高松塚古墳の壁画の発見で、「古代史ブーム」が起こっていたことが、友人の発案の背景にあったかもしれません。しかし、奈良から遠い北関東の中学生たちは、高松塚の壁画よりも、思いがけなく身近なところに存在している古墳のかたちや石室を面白いと思っていました。考古学者の森浩一氏の『古墳―石と土の造形』(保育社から―ブックス、保育社、1971)などの本や、大和久震平氏・塙静夫氏『栃木県の考古学』(郷土考古学叢書、吉川弘文館、1972)が私たちの導き手でした。中学に進むと、この仲間でガリ版刷りの雑誌も作りました(創刊号は地方新聞にも紹介してもらいました)。

本を読んでゆくうちに、「文献史学」という学問があることを知りました。歴史学者の門脇禎二氏や直木孝次郎氏の「文献史学」が描き出す「歴史を生きる人間像」に強く魅了されるようになりました。さらに、高校生になってからは、日本古代史だけでなく、中国史や中央アジア史にも関心を持つようになっていました。この分野にも、宮崎市定氏や岩村忍氏のような若者の心を惹きつけて止まない書き手がいました。

そうした中で私に強烈な印象を与えたのが、中西氏の『天智伝』です。時を忘れてこの本に読みふけりました。『天智伝』は、雑誌『歴史と人物』1974年6月号から9月号まで4回連載され、加筆後、中高叢書の1冊として刊行されたものです。評伝と言いつつ、内容は「歴史小説」です。静謐な文体で描き出された、7世紀の激動する国際関係の中を生きる天智天皇の孤独が、いつまでも心に残りました(新羅の武烈王・金春秋キムチュンチュのことも初めて知りました)。

2010年に『中西進著作集』第25巻(四季社)に『天智伝』が収録されたとき、私は月報にその解題を書きました。その中で以下のように記したことは、高校生の頃に感じたことに変わりありません。


■『天智伝』は小説的スタイルで叙述される。論考のスタイルでは掬(すく)い取れぬ王者の孤独に筆を届かせた。激動する歴史の渦の中を、自らの意志とかかわりなく、そしてそれを知りながらも一途に生きねばならなかった天智天皇像を示したのである。また、この小説的スタイルは七世紀の政治世界を生々しく映像化したことでも注目される。(「二つの帝王像」連載・Ⅰ)

私が『天智伝』に魅了されたのは、古代の政治世界を映像化した「歴史小説」としての面白さだけではなく、この本の基礎にある〈人間とは何か〉という問いかけが、若い私の心に突き刺さったからであったと思います。この時期に中西氏が〈人間とは何か〉を問う文学研究の模索をしていたことを、『神々と人間』、『万葉集原論』(桜楓社、1976)、『万葉集入門 その歴史と文学』(角川文庫、角川書店、1981)などを次々と読んでいく中で知りました。

私も、文学(それも古代の)を通じて〈人間とは何か〉を考えたいーーこの思いから『萬葉集』へと向かいました。戦前の萬葉学者たちのような、最初から『萬葉集』の歌そのものに魅力を覚え、しかも短歌の実作者、という行き方とは違っていました。大学生になってから、『萬葉集』の歌の深さを知るようになりましたが、高校生のときに読んでいた文学は、日本近代の小説、『三国志演義』・『史記列伝』、フランスの小説などでした。とはいえいわゆる「文学青年」ではありませんでした。

『萬葉集』は、〈人間とは何か〉という問いかけに、さまざまな方面から応じてくれる文学のように思います。自然と人間の関係、〈戦争〉と〈平和〉、貧困、人間の尊厳と〈自由〉、宗教的寛容、近代化と伝統文化、ジェンダー、テクノロジーと人間、生と死などの人間の普遍的な問題を考える手がかりが、『萬葉集』には存在しています。

この困難な時代の中で、いかに生きればよいか悩む若い人々の心を強く揺さぶるような、『萬葉集』についての本ーー私にとっての『天智伝』や『神々と人間』のような本ーーが、もっと書店の書棚に並ぶようであってほしいと強く思っています。

2024年11月17日日曜日

近代における日韓の文学交流研究の重要性

 

2024年11月16日、青山学院創立150周年記念日に、創立150周年事業の一つとして『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』(四六判、256頁、非売品)を刊行しました。

表紙の留学生が誰かわかる人は、近代韓国文学通です。今日、韓国で最も人気のある詩人のひとり・白石です。日本で最もよく知られている韓国近代詩人は尹東柱(ユンドンジュ)ですが、その尹東柱が強く心を寄せた詩人が白石でした。

白石は、青山学院高等学部英語師範科に1930年4月に入学し、1934年3月に卒業しました。1936年に初めての詩集『鹿』を自費出版しました。白石が青山学院に寄贈した詩集『鹿』は、貴重書として青山学院大学図書館本館に所蔵されています。

白石は、モダニズムの影響を受けながら、故郷の人々の暮らしや自然の情景を、感覚を交錯させて五感全てに訴えかけるようにして表現しました。また、この世を生きる小さな存在に無限の共感を寄せました。

『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』の五十嵐真希氏執筆「白石」に収録されている「白き壁があって」(五十嵐氏訳。後半部。『文章』1941年4月号所収)から。

この白きかべには

わたしのさみしい顔を見つめて

このような文字がよぎっていく

――わたしはこの世で貧しく寄る辺なく気高くさみしく生きるようにうまれてきた

  そして この世を生きてゆくのだが

  わたしの胸はあまりにも多くの熱いものに 心細いものに 愛に 悲しみに満ちあふれ

   ている

  そして今度は わたしを慰めるがごとく わたしを力尽(ず)くで追い詰めるがごとく

  目で合図をし 拳(こぶし)をふるって かかる文字がよぎっていく

――天がこの世を生み出したとき 最も尊び慈しまれるものたちはみな

  貧しく寄る辺なく気高くさみしく そしていつでもあふれんばかりの愛と悲しみのなか

   で生きるようにおつくりになったのだ

  三日月と金鳳花(きんぽうげ)とダルマエナガとロバがそうであるように

  そしてまた「フランシス・ジャム」と陶淵明(とうえんめい)と「ライナー・マリア・リ

   ルケ」がそうであるように

白石をはじめ、戦前に青山学院で学び、文学者として活躍した韓国朝鮮の留学生は、10名を超えます。『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者』たちでは、概説ののち、そのうち11名を紹介しました。

【目次】

青山学院と日韓関係(山本与志春:青山学院院長)

青山学院と朝鮮を結びキリスト教ネットワーク(松谷基和:東北学院大学教授)

青山が訓と韓国朝鮮からの留学生(佐藤由美:専修大学教授)

韓国近代文学について―青山学院との関わりを視野に入れて―(熊木勉:天理大学教授)

日本近代文学と青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち(小松靖彦:青山学院大学教授)

コラム 田栄沢の文章二つ(波田野節子:新潟県立大学名誉教授)

尹昌錫(ユンチャンソク윤창석)〔独立運動家・詩作〕(北田道也:通信制高等学校教諭)

李一(イイル이일)〔詩人〕(韓京子:青山学院大学教授)

田栄沢(チョンヨンテク전영택)〔牧師、小説家、詩人、童話翻訳者〕(芹川哲世:二松学舎大学名誉教授)

方仁根(パンイングン방인근)〔大衆作家、詩人〕(金鍾洙:慶熙大学教授)

呉天錫(オチョンソク오천석)〔教育者、詩人、童話翻訳者〕(韓京子)

朱耀燮(チュヨソプ주요섭)〔小説家〕(芹川哲世)

徐恒錫(ソハンソク서항석)〔劇作家〕(韓京子)

金永郎(キムヨンナン영랑)〔詩人〕(梁誠允:高麗大学研究教授)

朴龍喆(パクヨンチョル박용철)〔詩人、評論家〕(李承淳:詩人、執筆家、ピアニスト)

金東鳴(キムドンミョン김동명)〔詩人〕(熊木勉)

白石(ペクソク백석)〔詩人〕(五十嵐真希:翻訳家)

金素雲(キムソウン)『朝鮮詩集』と「こゝろ」について(沢知恵:歌手、ハンセン病療養所の音楽文化研究)

これほど多くの文学者たちが青山学院で学んでいたことを知ったとき、私は驚きを禁じえませんでした。また、彼らが独立への思いを胸に、文学のことばに命を託したことにことに、深い感銘を受けました。熊木勉氏が以下のようにまとめてくださったように、彼らは韓国近代文学史に大きな足跡を残しました。


[…]韓国近代文学史の流れを大きく俯瞰しながら、その中で青山学院につながる文人たちが、どのような活動をし、どのような文学の傾向を見せたかを見てきた。内容的に、彼らにほぼ共通してみられるのは、困窮する人々への共鳴、人道主義的姿勢であったと思われる。

 韓国近代文学史で重要な意味を持ついくつかの文芸誌に、青山学院の人脈が関係しうる点にも言及した。この青山学院の人脈ネット―ワークは、韓国近代文学史の形成と発展に一定の役割を果たしたと言えることであろう。(『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』43頁)

それにしても、なぜ青山学院に韓国朝鮮から多くの若者が留学してきたのか。青山学院がキリスト教の教派を問わずに留学生を受け入れており、「当時の朝鮮の排他的な教会組織や伝統に対する批判的精神を持つ学生も集まるように」なり、青山の相対的に自由な教育が留学生たちを大いに満足させたと、松谷基和氏は説明しています。松谷氏は、神学部の留学生・金在俊(キムジェジュン)のことばを紹介しています。

「青山学院といえば”自由”が連想される。学生であれ先生であれ、個人の自由、学園の自由、学問の自由、思想の自由があり、すべてが自由の雰囲気であった。水の中の魚のように自由の中で生きていたように思う。」(『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』16頁)

日本による朝鮮統治が行われる中、青山学院は理想を貫き、その自由・平等・博愛が韓国近代文学の種子を育んだと言えます。青山学院は、1923年の関東大震災のとき、井戸に毒を入れたという流言によって命の危険にさらされた朝鮮の人々に対して、すぐに支援活動を展開しています。

青山学院を「苗床」とする日韓の文学交流は、今日、青山学院関係者にもあまり知られておらす、関心も高くありません。立教大学の尹東柱の研究と顕彰、同志社大学の鄭芝溶と尹東柱の研究と顕彰のようなことは、青山学院ではあまり行われてきませんでした(『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』の執筆者のひとり・北田道也氏の研究があるだけです)。

青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者の中には、李一(イイル)のように韓国でもまだ研究が十分に進んでいない人もいます。また、金東鳴は、金素雲(キムソウン)の日本語訳に、金素雲の孫にあたる沢知恵氏が美しい曲を付けた作品「こころ」で有名ですが、その詩人としての生涯は、日本ではあまり知られていません。沢氏は、「こころ」について次のように記しています。

 金東鳴と金素雲と私。二つの国のことばをからだにもち、母国喪失の思いを抱えた三人がときを超えて生み出したのが《こころ》です。日本の苛烈な植民地支配がなければなかったうた。こんなうた、なかったほうがよかった? 抑圧ゆえに生まれた黒人霊歌やハンセン病療養所のうたと同じうめきのうた、叫びのうたであることに、私はようやく気づきました。(『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』242頁)

熊木勉氏が金東鳴の生涯と文学をわかりやすく説明しています。金東鳴は、青山学院留学時代の先輩・友人との交流によって現実逃避から脱し民族的自意識を確立して、宗教性と民族主義を調和させた、苦難に耐え抜き、「ニム」(思慕する者)を「待つ」という独自の詩を作り上げました。

この本で取り上げることができなかった李根庠(イグンサン 詩人)、秦長燮(ジンジャンソプ 児童文学者)、蔡順秉(チェスンビョン 翻訳・研究)、金溶益(キムヨンイク 小説家)、李貞善(イジョンソン シナリオ作家)や、青山学院出身との説がある(未確認)呉相淳(オサンスン)についても今後研究を進めることが必要です。

青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たちの足跡は、日本と韓国朝鮮の近代史、そして文学交流史に新たな光を当てるものです。祖父である詩人・金永郎について解説を書いてくださった梁誠允氏のことばを、この記事の最後に引きたいと思います。

[…]どのような評価軸によろうとも、海を隔て、詩を通じた新たな経験をこの先どのように紡(つむ)ぎ出し、またどう語り継ぐかは、海の向こうとこちらの私たちの手にかかっている。(『青山学院で学んだ韓国朝鮮の文学者たち』183頁)


2024年8月31日土曜日

日本近代における『萬葉集』受容資料の引用について

 

日本近代における『萬葉集』受容に関する資料を引用するとき、振り仮名もいっしょに引用することが重要です。

日本近代の『萬葉集』のテクストでは、読み下し文が一般的です。その読み下し方は、たとえば、『新訓萬葉集』(岩波文庫)、『作者類別年代順 萬葉集』(新潮文庫)では違っています。

ある文学者が『萬葉集』を引用しているとき、振り仮名にから、どのテクストを使っているかのか、そのテクストのその読み下しにしたがってどのような解釈をしているのかがわかります。ですから、日本近代の文学者の、『萬葉集』受容資料を引用する場合、『萬葉集』の歌の振り仮名も含めなければなりません。また、解説文の中に、振り仮名があれば、それも安易に削除してはなりません。

また、本、雑誌、新聞を、日本近代における『萬葉集』受容について資料として用いる場合も、振り仮名も一緒に引用することが望ましいと思います。本によっては、総ルビのこともあります。煩雑なため、引用の際に省略されることも多いようですが、その総ルビから、読者として誰をターゲットにしている文章なのか、という貴重な情報が得られます。さらに、『萬葉集』の人名・地名を当時どのように読み下し方をしていたかもわかります。

戦前の資料では、現在とは違った読み下し方をしていたものとして、以下の例があります。

■額田王 ぬかだのおほきみ →(現在では)ぬかたのおほきみ
■中大兄 なかちおひね   →(現在では)なかのおほえ

なお、固有名詞に振り仮名が振っていない、近代の文学者の文書を引用する際、一般向けの本では、新たに振り仮名を加えることになります。その時に、現在の読み下し方で振り仮名を付けてしまうのは問題です。

戦前の新聞は、振り仮名について不思議な振り方をしています。「作品」の「作」にだけ「さく」と振り仮名があったりします。補って読めるところは振り仮名を振っていないのでしょうか。そのため、新聞の振り仮名は省略されてしまうことが多いようです。しかし、振り仮名は全て引用しておいたほうが、のちに研究する者の助けとなると思います(特に閲覧が簡単ではないもの)。

振り仮名は「付属物」と見られがちです。本文を言語的な〈本文(テクスト)〉(簡単に言えば「内容」)に限定して考えると、確かに「付属物」のように見えてしまいます。しかし、日本近代の印刷文化の中では、振り仮名は本文の一部にほかならないと、私は思っています。

論文や本に、近代における『萬葉集』受容資料を引用するときは、振り仮名も省略せずに引くことが基本的ルールになることを願っています。

2024年8月8日木曜日

『万葉集』の外国語訳への期待

 

2018年に、山崎洋氏によって『万葉集』のセルビア語訳が刊行されています。他の言語での『万葉集』の翻訳がどのようになっているかを調べてみました。

2015年までは、小倉久美子氏が作成した「記紀万葉翻訳書リスト(暫定)」(『万葉古代学研究所年報』第15号、2017・3)という便利なデータ集があります。
万葉古代学研究年報_第15号横組_後.indd (manyo.jp)
(*この号は、『古事記』『万葉集』の翻訳研究特集となっていて貴重です)

また、それ以後、2022年までは、国際交流基金の「日本文学翻訳作品データベース」が参考になります。

独立行政法人国際交流基金 日本文学翻訳作品データベース (jpf.go.jp)

ただし、両方の資料とも、日本詩歌選のようなアンソロジーに収められた『万葉集』の翻訳は見落とされています。写真は、アメリカの現代詩人ケネス・レクスロスの英訳日本詩歌集で、私の愛読書ですが、資料には登録されていません。

とりあえず二つの資料によれば、『万葉集』の外国語訳は、戦前の1945年までは、フランス語訳、ドイツ語訳、英訳がほとんどです。少し変わったものとしてエスペラント訳があります。

(*2022年の全国大学国語国文学会冬季大会のナポリ東洋大学のアントニオ・マニエーリ氏の研究発表によれば、20世紀初頭にパチフィーコ・アルカンジェリ、下位春吉にそれぞれイタリア語訳があったとのこと。セルビアでも、詩人のミロシュ・ツルニャンスキーが、重訳ではありますが、『日本の古歌』(1928刊)に、セルビア語に訳した『万葉集』の歌を収めています)

戦後では、以上の他に、次のような言語で翻訳されています。

【西ヨーロッパ】イタリア語/スペイン語/ポルトガル語

【北欧】ノルウェー語

【中東欧】スロバキア語(*小倉リストの「スロベニア語」は「スロバキア語」の誤り)/チェコ語/ルーマニア語/セルビア語(*「日本文学翻訳作品データベース」未登録)

【東ヨーロッパ】ロシア語

【アジア】中国語/韓国語/タミル語

まだまだ広がりがあるとは言えません。特に、日本語学習や日本文学研究が盛んな地域で、翻訳されていないことを残念に思います。たとえば、以下のような言語で『万葉集』の翻訳が行われることを、私は強く期待します。

■インドネシア語(日本語学習者が中国に次いで多い)

■ベトナム語(日本語学習者が多く、『万葉集』の若手研究者もいる)

■タイ語(日本語学習者が多く、日本文学研究も盛ん)

■ベンガル語(昨年、コルカタで『万葉集』を紹介したところ、もっと知りたいという若い人々がいた。ビッショ・バロティ(タゴール国際大学)でも学生たちが『万葉集』に感銘を受けていた)

■ヒンディー語(昨年、ジャワハルラール・ネルー大学とデリー大学で授業と講演。強い興味を覚えた学生がいた。自然科学者との共同研究の可能性もある考えられる)

■ポーランド語(日本語学習者が多く、日本文学研究が盛ん)

■スロベニア語(日本と古くから交流があり、若手の日本文学研究者も出つつある)

■ウクライナ語(学生の日本文学への関心は高い。詩人レーシャ・ウクラインカの自然観との比較研究ができると興味深い)

■トルコ語(日本語・日本文学研究が盛ん)

これらの言語による『万葉集』の翻訳を期待するのは、日本語学習者や日本文学研究が盛んであることに加えて、自然観・死生観・恋歌・文学の社会性(山上憶良「貧窮問答歌」など)・口承性oralityなどのテーマでの比較研究ができる可能性があるからです。

戦前に佐佐木信綱を中心に学術振興会が『万葉集』を英訳する際、「日本精神」を諸外国に伝えることを目標としました。今日でも、『万葉集』の翻訳によって”すぐれた日本文化”を伝える、ということが言われがちです。しかし、テネシー大学のチトコ=ヂュープランティス マウゴジャタ・カロリナさんが大変心配しているように、それは『万葉集』を日本文化のブランディングに利用することにほかなりません。

むしろ、『万葉集』を知りたい・読みたい海外の若い人々に、『万葉集』を届けるための翻訳、そして、それぞれの国や民族の文学と比較しながら、人間の普遍的問題をともに考えてゆくための翻訳であってほしいと思います。

そのためには、万葉集研究者が、どのテキストがよいか、今どのような解釈が最も信頼できるか、などの基本的なところから翻訳者をサポートすることが必要です。実際に万葉集研究者の梶川信行氏と崔光準氏共編の韓国語訳(『日韓対訳『万葉集選』』新羅大学、2012)も出されるようになっています。

さらにいえば、日本語の情報を提供するだけでなく、翻訳についてもアドバイスできる語学力も、翻訳に関わる万葉集研究者には必要になってくるように思います。

2024年8月5日月曜日

〈文学交流〉第一歩

 

海外の大学で日本語・日本文学を学ぶ学生の皆さんに、講義する機会が増えてきます。

初めて講義をしたのが、2017年、リュブリャーナ大学文学部アジア研究学科日本研究専攻。リュブリャーナ大学で日本語を学ぶ学生さんたちの様子を偶然テレビで見かけたことがあり、一度訪問したいと思っていました。以前にメールのやりとりをしたことがあるアンドレイ・ベケシュ氏の縁を頼りに、訪問したいという希望を伝えたところ、ベケシュ氏と守時なぎさ氏が、学生の皆さんに講義する機会と作ってくれました。講義の最後には、スロベニアの詩人スレチュコ・コソヴェルの詩の朗読という、思いがけないプレゼントもありました。ただ、学生の皆さんが緊張していたようで、直接に会話することができませんでした。そのころの私は、学生の皆さんの緊張を解きほぐす方法を持っていませんでした。

2023年夏に国際交流基金の日本研究基盤整備プログラムの客員教員としてインド・西ベンガルのビッショ・バロティ(タゴール国際大学)日本語学科に行き、1か月、学部1年生から大学院生までの授業を担当しました。その中で学んだのは、私のほうから、ベンガル地方インドの植物、動物、文学、映画について、また、ある日本語に当たるベンガル語は何かを尋ねると、学生の皆さんと生き生きしたコミュニケーションがとれる、ということでした。「日本のウグイスに当たる鳥は何か」「日本のタチバナのような香りのよい花は何か」と聞くと、学生の皆さんは喜んで答えてくれました。また、日本語の「仕方ない」にあたるベンガル語は何か、と尋ねると、しばらく考えて、このことばでしょう、と教えてくれました。

一方的に、日本の文学や文化を教えるというのではなく、相手の文学や文化に関心を持ち、それを知りたいという姿勢を持つと、学生の皆さんは積極的に話しかけてくれます。私自身も、本やインターネットではわからないことを知る楽しさを感じます。インド滞在中、ベンガル語も少し勉強し始めましたが、学生の皆さんから生きたことばを教えられ、ますますベンガル語への関心も高まりました(今は学習はストップしていますが)。

2024年4月、セルビアのベオグラード大学文献学部東洋学科日本語・日本文学文化専攻を訪問しました。セルビアにおける日本文学の受容と日本研究の歴史に関心を持っており、また、青山学院大学とベオグラード大学で交換留学協定が締結されたので、一度、自分の眼でベオグラードを見、研究者の皆さんと交流する機会を持ちたいと思ったからです。

ダリボル・クリチュコビッチ氏が、学生の皆さんと交流する機会を作ってくれました。今回は、インドでの体験を踏まえ、自己紹介と〈文学交流〉についての説明を記した資料に、「話のタネ」を書き加えました。「話のタネ」は以下の通りです。

【皆さんが私に聞きたい(かもしれない)こと】(*質問しやすいように作った想定質問集)

■いつから、なぜ日本文学を研究しようと思ったのか?

■『万葉集』を始めとする日本文学の面白さは?

■日本文学を研究してきて、今までもっとも心に残ったことは?

■日本文学を研究することは役に立つか? よいことはあるか?

■今まで世界のどのような国に旅行しているか?

■日本文学を学ぶ者への、日本のおすすめの場所は?

■青山学院大学日本文学科には留学生はいるのか?

■交換留学生として青山学院大学に留学したとき、どんな授業が受けられるか?

■交換留学生は日本人と友だちになれるか?

■日本文学のおすすめの本は?

■三島由紀夫の作品はどうでしょうか?(*海外には三島好きが多いのでこの質問)

■日本の若い人たちが中学・高校で読んでいる文学作品は何か?

■日本のポップミュージックのおすすめは?

【私から皆さんに聞きたいこと】

■セルビアの若い人たちが中学・高校で読んでいる文学作品は何でしょうか?

■皆さんの好きなセルビアの文学者や作品を教えてください。

■皆さんが好きな日本の文学、音楽、映画について教えてください。

■セルビアの多くの人たちが好きな花で何でしょうか?

■セルビアの多くの人たちがよく知っている鳥は何でしょうか?

■セルビアのおすすめの絵本を教えてください。

■大学生の皆さんが困ったと思うのはどのようときですか?

■セルビア語の「触れる」додирнутиは英語のtouchと同じ意味でしょうか? 日本語には「触(ふ)れる」と「触(さわ)る」という二つのことばがあります。セルビア語ではどうでしょうか?

■セルビア語の「心」срце(スルツ)と「魂」душа(ドゥシャ)の意味の違いを教えてください。

学生の皆さんからの質問はあまりありませんでした(学生の皆さんが質問する前に、私が答えてしまったものもありました)。しかし、学生の皆さんへの質問には、手を挙げて積極的に答えてくれました。

◇特にセルビアの人が好む花や鳥というものはない。それぞれに好きな花や鳥はあるけれども。(*ラモンドRamond seribica, serbian phenix flowerという紫の美しい花を教えてもらいました)

◇好きな文学はイボ・アンドリッチとミロシュ・ツルニャンスキー(*確かにベオグラードの書店には彼らの本が多数置いてありました)。

◇セルビア語のдодирнутиは、瞬間的に触れることを意味する。

◇「心」срцеは肉体的、「魂」душаは精神的。親切な人のことをдушаとも言う。恋愛に関して言う場合、「心」срцеは恋愛感情を表し、「魂」душаはそれよりもっと深い愛を表す。さらにдуx(ドゥフ)という「魂・霊」を表すことばがある。たとえば春の喜びをдуx пропећ(ドゥフ・プロぺチ)と言う。

とても楽しい会話ができました。〈文学交流〉は「双方向」的でなくてはならないと私は考えています。学生の皆さんとのこうしたやりとりは、まさに〈文学交流〉の第一歩と思います。

なお、冒頭の写真は、『ネズミと呼ばれた猫』というセルビアの絵本の見開きです(その中の「ウォーター・ドラゴン」というお話)。まだセルビア語が読めないのに、絵の美しさに心ひかれて、衝動買いしてしまいました。絵本は、その国、民族の文学・文化への最も魅力的な入り口と私は思っています。では、日本はどうでしょうか。ベオグラード大学の学生の皆さんには、宮澤賢治『銀河鉄道の夜』、新美南吉『ごんぎつね』を紹介しました(ベオグラード大学の学生の皆さんは『銀河鉄道の夜』も『ごんぎつね』も英訳で読んで、知っていました)。

ただ、セルビアでも日本でも、ディズニーのキャラクターのようなタッチで描かれた絵本がかなり増えています。互いの文学・文化に紹介できるような絵本がもっとあってほしいと思強く思いました。

2024年8月3日土曜日

ベオグラードの『万葉集』

 

2024年4月5日(金)に、セルビアのベオグラード大学文献学部東洋学科日本語・日本文学文化専攻で「『萬葉集』の桜と〈無常感〉について」という講演をしました。

講演後の質問の時間で、ベオグラード大学の学生の皆さんから質問を受けました。その中に「額田王、大伴坂上郎女以外で重要な女性の万葉歌人は誰でしょうか」という質問がありました。額田王と大伴坂上郎女が代表的な女性歌人であることを知った上での質問であったことに感銘を受けましたた。

講演会に来てくださった山崎洋氏(翻訳家)が、講演会後にしてくださったお話で、『万葉集』について学生の皆さんがよく知っているわけが、よくわかりました。山崎氏は、2018年に『万葉集』のセルビア語訳(抄訳)を出版しました。そしてこの本を使って、ベオグラード大学で『万葉集』を講読していたのです。

Hijade Listova, Stotine Cvetova: Izabrane Pesme iz Zabirke Manjošu [数千の葉、数百の花―歌集『万葉集』から選ばれた歌]。100首の歌が選ばれ、歌ごとに翻訳に合わせて丁寧な解説も付けられています。額田王の「熟田津に 船乗りせむと…」(巻1・8)や「あかねさす 紫野行き…」(巻1・20)など、大伴坂上郎女の「来むと言ひも 来ぬ時あるを…」(巻4・527)、「恋ひ恋ひて 逢へる時だに…」(巻4・661)なども収められている。嬉しいことに、大伴旅人の「酒を讃むる歌十三首」(巻3・338~350)も、13首全てが挙がっていて訳が付けられています。長歌、旋頭歌の重要な作品も入っています。

この本で学んでいれば、確かに額田王や大伴坂上郎女以外の女性歌人についても知りたいという心持ちになります。翻訳というものの重要性を改めて強く感じました。また、万葉集研究者も、もっと積極的に翻訳についてアシストしてよいと思いました。

セルビアでは、山崎洋氏を中心に、『古事記』や『竹取物語』の翻訳書も出版されています。さらに驚いたことに、東京大学大学院生であったマテヤ・マティッチさんが、『平家物語覚一本』の全訳を独力で2021年に完成しました。これらには、日本古典文学の翻訳への情熱が感じられます。

こうした素地の上に、日本文学を本格的に知りたいと思っているセルビアの若い人々に、日本文学を伝えることも、日本文学研究者に重要な役割であると思いました。

ちなみに、学生の質問に対して、私は少々慌てて、鏡王女(かがみのおおきみ)、笠女郎(かさのいらつめ)、山口女王(やまぐちのおおきみ)と回答しました。ホテルに戻ってから、紀女郎(きのいらつめ)を忘れていたことに気づきました。紀女郎は『万葉集』のジェンダーを軽々と超えてしまうユニークな歌人です。斉明(皇極)天皇、持統天皇、狭野茅上娘子(さののちがみおとめ)も挙げるべきでした。

『万葉集』には多くの女性歌人が見られます。その活躍ぶりは、平安時代の女房たちに匹敵する、あるいはそれ以上かもしれません。こうした女性歌人たちを、「女性」(”女流歌人”)というジェンダーに閉じ込めてしまわずに、大胆に研究してくれる若い人々がベオグラードから出てくることを期待してやみません。